こんにちは。越谷市せんげん台のパーソナルジム「トータルボディメイキングスタジオI’s(アイズ)」です。
「健康になりたい」と言ってジムに来る方がいます。でも少し話を聞いていくと、「健康になりたい」の中身は人によってまったく違うことに気づきます。体重を落としたい人もいれば、血圧を下げたい人もいる。疲れにくくなりたい人もいれば、膝の痛みをなくしたい人もいる。見た目を変えたい人もいれば、ただ「なんとなく今のままでは不安」という人もいる。
「健康」という言葉は、みんなが使うけれど、指しているものが全然違う。今日はその「健康とは何か」という問いを、少し丁寧に考えてみたいと思います。10年間この仕事をしてきて、自分なりに整理してきたことです。
一番多い「健康」の定義——病気でないこと
多くの人が「健康」を「病気でない状態」として捉えています。医者に「異常なし」と言われる、健康診断の数値が基準値内に収まっている、特にどこも痛くない——この状態を「健康」と呼んでいる。
この定義は間違っていないけれど、かなり消極的な定義です。「病気でない」というのは、言わばゼロの状態です。痛みがない、症状がない、数値が悪くない——何かがないという状態の積み重ねが「健康」になっている。
でも、この定義で生きていると「病気でなければ何もしなくていい」という発想になりやすい。数値が悪くなければ問題ない。症状がなければ大丈夫。そして何かが出てきたとき、初めて「健康でなくなった」と気づく。
この「悪くなってから気づく」という感覚が、健康への向き合い方を後手に回らせている気がします。痛みや症状は、長い時間をかけて蓄積してきた変化が、ある日閾値を超えたときに現れるものがほとんどです。症状が出る前の、見えない変化の期間がずっと長い。「病気でない」を「健康」と呼ぶと、この長い期間が丸ごと見えなくなってしまいます。
数値が良くても、疲れやすい人はいる
健康診断の結果が全部A判定で、血圧も血糖値もコレステロールも正常範囲で、でもいつも疲れていて、週末になると一日中ソファから動けない——こういう人を「健康だ」と言えるでしょうか。
数値という観点からは問題がない。でも実際の生活の質という観点からは、かなり辛い状態です。これは「病気でない」けれど「健康だ」とも言い難い、という感覚があります。
逆の例もある。健康診断でいくつか気になる数値があって、体重も少し重めで、でも毎朝気持ちよく起きられて、好きな仕事に集中できて、家族と過ごす時間を楽しんでいる人。数値の観点では「完璧に健康」とは言えないかもしれないけれど、生きている実感という観点では充実している。
どちらが「健康」に近いかというと、答えは簡単には出ません。でもこの比較が示すのは、数値は健康の一つの指標に過ぎないということです。数値が良いことは確かに意味があるけれど、それだけで健康かどうかは決まらない。
世界保健機関(WHO)が定義した「健康」
世界保健機関は、健康をこう定義しています。「健康とは、身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病がないとか、虚弱でないということではない」。
この定義が出されたのは1948年です。70年以上前にすでに、「病気でないことが健康ではない」という視点が示されていた。「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態」——この三つが揃って初めて健康だ、と言っている。
精神的な健康が含まれているのは重要です。どれだけ体が丈夫でも、精神的に追い詰められていたり、毎日が憂鬱だったりすれば、それは健康とは言えない。体と心は別々のものではなく、一つのものの二つの側面です。
社会的な健康というのは、人との繋がりの中で生きていられるかどうか、ということだと思います。人間は社会的な動物で、孤立することが健康に悪影響を与えることは様々な研究で示されています。友人や家族との繋がりがある、コミュニティに属している、社会の中で役割を持っている——これらも「健康」の一部だということです。
ジムで体を鍛えることは、この三つのうちの「身体的」な部分に直接働きかけますが、実際には精神的・社会的な健康にも影響を与えます。運動が気分を改善することは研究で確認されていますし、ジムという場が人との繋がりになっている方もいます。体だけの話ではないのです。
「何ができるか」という視点
私が「健康」を考えるとき、一番しっくりくる問いがあります。それは「何ができるか」という問いです。
旅行先で一日中歩けるか。子どもや孫と遊べるか。好きな趣味を続けられるか。仕事に集中できるか。夜ちゃんと眠れるか。朝、気持ちよく起きられるか。これらは全部「何ができるか」の話です。
数値や見た目ではなく、自分の生活の中でやりたいことができているかどうか。これが健康の実質的な意味に一番近いと思っています。「機能的健康」という言い方をすることもありますが、体がどれだけ機能しているかという観点です。
この視点で見ると、健康の目標が変わってきます。「体重を〇kg落とす」ではなく「山に登れる体力をつける」。「血圧を下げる」ではなく「元気に仕事を続けられる体を保つ」。「痩せて綺麗になる」ではなく「好きな服を着て出かけられる自分でいる」。外から測られる数字より、自分の生活の中で実感できることが目標になる。
こちらの方が、続きやすい。なぜなら、目標が自分の生活の中にあるからです。体重の数字が目標だと、その数字を達成したら終わる。でも「山に登れる体力」という目標は、山に登り続けたい限り終わらない。継続する理由が、常に自分の生活の中にある。
エネルギーという資産
健康の話をするとき、意外と語られないことがあります。それは「エネルギー」のことです。
一日の中でどれだけのエネルギーを持っているかは、生活の質にダイレクトに影響します。仕事から帰ってきて、子どもと遊ぶ余裕があるかどうか。週末に趣味に時間を使えるかどうか。夜に本を読んだり、好きなことを考えたりする気力があるかどうか。
エネルギーが少ないと、こなすことはできても楽しめない。義務は果たせても、その先がない。こういう状態が続くと、「毎日が忙しいだけで、生きている実感がない」という感覚になってくる。これは「病気」ではないけれど、「健康」とも言い難い状態です。
運動が健康に良いと言われる理由の一つに、このエネルギーの改善があります。定期的に体を動かしている人の多くが「疲れにくくなった」「以前より体が楽になった」と言います。消耗しているのに増えるという感覚は直感に反するかもしれないけれど、適切な運動は体のエネルギー産生能力そのものを高めます。ミトコンドリアが増え、心肺機能が上がり、睡眠の質が改善する——これらが積み重なって、使えるエネルギーが増えていく。
「健康になりたい」という言葉の裏には、「もっとエネルギーが欲しい」という願いが隠れていることが多い。疲れにくくなりたい、もっと動ける自分でいたい、毎日をもう少し楽しみたい——これらはすべて、エネルギーの話です。
筋肉量が増えると基礎代謝が上がり、日常動作のエネルギー効率が良くなります。心肺機能が上がると、同じことをするのに使う体力が少なくて済むようになります。睡眠の質が上がると、回復力が高まります。「疲れにくい体になった」という実感は、数値より先に来ることが多い。それがジムに続けて来る理由になっている人を、たくさん見てきました。
回復力という健康の本質
もう一つ、健康を考えるときに大切にしたい概念があります。「回復力」あるいは「レジリエンス」と呼ばれるものです。
人間の体は、常に完璧な状態を保てるものではありません。風邪を引く、疲れが溜まる、ストレスで調子を崩す、年齢とともに体が変わっていく——これらは避けられない。重要なのは崩れないことではなく、崩れたときに戻れる力がどれだけあるかです。
体力がある人は、同じ疲れを経験しても回復が早い。筋肉量がある人は、同じ病気になっても重症化しにくい傾向があります。基礎的な体力がある人は、手術後の回復が早い。これらはすべて回復力の差です。
回復力は、普段から体を使っていることで高まります。適度な運動・十分な睡眠・バランスの取れた食事——これらは「健康を維持する」という話でよくされますが、本質的には「何かあったときに戻る力を蓄えている」という話です。何もないときにこそ、何かあったときのための準備ができている。
歳を重ねることで避けられない身体の変化はあります。でも同じ70歳でも、回復力がある人とない人では、病気になったときの経過も、日常生活の制限の程度も、大きく違う。この差は、70歳になってから作られるのではなく、50代・60代の積み重ねによって作られている。今日の体の使い方が、10年後の回復力になる。
「健康寿命」という言葉が示すもの
日本では「健康寿命」という言葉が使われるようになっています。単に長く生きるだけでなく、健康で自立して過ごせる期間のことです。平均寿命との差——つまり、何らかのサポートや介護が必要になってから亡くなるまでの期間——が男性で約9年、女性で約12年あると言われています。
この数字が示すのは、多くの人が人生の最後の10年前後を、自分だけでは思い通りに動けない状態で過ごしているということです。これは「死なない」という意味では長寿かもしれないけれど、「健康である」という意味では必ずしもそうではない。
健康寿命を延ばすということは、自立して動ける期間を長くするということです。旅行に行ける、好きな趣味を続けられる、家族に迷惑をかけずに生活できる、自分の意志で動ける——この期間を一日でも長くすることが、健康の一つの大きな目標だと思います。
そのために今何ができるかというと、答えはシンプルです。筋肉を維持する。骨密度を保つ。バランス能力を鍛える。心肺機能を高める。これらは全部、今日からできることです。そしてこれらは、70歳になってから急に始めても遅いということはないけれど、50代・60代から積み重ねている人とでは、同じ努力をしても到達できる場所が違ってくる。今日の一歩が、10年後の自分の生活の自由度を作っている。
体との「関係」が変わったとき
10年間この仕事をしていて、本当に体が変わった人に共通することがあります。それは、体との関係が変わっているということです。
最初は体を「問題があるもの」「変えなければいけないもの」として捉えていた人が、だんだん「自分の体とどう付き合うか」という視点になっていく。体を見る目が、批判的な目から観察する目に変わっていく。
「体重が重い、だから変えなければ」から「最近体が重いな、何が原因だろう」へ。「もっと細くならないと」から「今の体で何ができるか」へ。外から評価される対象としての体から、自分が住んでいる場所としての体への感覚の変化です。
この変化が起きると、健康への向き合い方が根本から変わります。義務からやることではなく、自分の体を大切にするためにやること、になる。罰として食事を制限するのではなく、体が喜ぶものを選ぶことになる。体を痛めつけるような激しい運動ではなく、体と対話するような運動になる。
こうなった人は長く続きます。そしてこういう関係性になって初めて、「健康でいること」が目標ではなく状態になる。目指すものではなく、生き方になる。
心の健康と体の健康は切り離せない
「健康になりたい」と言う人の中に、体の話だけをしている人がいます。でも体と心は一つのものの二つの側面で、本当は切り離して考えることができません。
精神的に追い詰められているとき、体も影響を受けます。慢性的なストレスはコルチゾールを上げ続け、免疫機能を下げ、筋肉を分解し、内臓脂肪を増やします。うつ状態になると体を動かす気力がなくなり、食欲が乱れ、睡眠が崩れる。心が健康でないとき、体も健康でいることは難しい。
逆もあります。体を動かすことが、精神的な健康に直接作用します。運動が軽度から中等度のうつや不安に対して有効であることは、複数の研究で示されています。走ることでセロトニンやエンドルフィンが出るという話は有名ですが、それだけでなく、「自分でやろうと決めて体を動かした」という行為そのものが、自己効力感と呼ばれる「自分はできる」という感覚を育てます。
ジムに来てよかったと言ってくれる方の中に、体型の変化より先に「気持ちが少し楽になった」「なんとなく前向きになった」と言う人がいます。数値も見た目も大きく変わっていない段階で、こういう変化を感じる人がいる。それは体と心が繋がっているからだと思います。体を動かすことが、心に直接働きかけている。
「健康になりたい」という言葉の裏には、「もう少し生きていることが楽になりたい」という気持ちが隠れていることがあります。これは弱さではなく、正直な願いです。そしてその願いに体を動かすことが応えられることが、思っているよりずっと多い。
「健康のために」という言葉の違和感
最後に、少しだけ違和感について書いておきます。
「健康のために運動する」「健康のために食事を気をつける」——この言い方は間違っていないけれど、どこか窮屈な感じがすることがあります。「健康」が目的になると、健康でいることが義務になる。義務は続きにくい。
「健康でいること」は、目的よりも条件に近いと思っています。何かをやりたいときに、体がそれを可能にしてくれるための条件。旅行に行くための、仕事を続けるための、孫と遊ぶための、好きなことを楽しむための条件。
「健康のために」ではなく「〇〇のために健康でいる」という順番にすると、少し軽くなる。健康が目的ではなく、その先にある生活が目的で、健康はそのための手段になる。この順番の方が、長続きする動機になりやすい気がします。
何のために健康でいたいのか。その問いへの答えが、体づくりを続ける一番の理由になります。そしてその答えは、健診の数値でも体重の目標でもなく、自分の生活の中にある何かのはずです。
健康でいることの本当の意味は、一つの言葉では言い切れません。でも少なくとも、数値の正常範囲に収まっていることでも、痩せていることでも、若く見えることでもない。何ができるか、何を楽しめるか、誰と何を経験できるか——そういう、生活の中の実感の積み重ねが、健康の本当の意味に近いと思っています。
体を動かすことは、その実感を豊かにするための一つの手段です。手段が目的になってしまわないように、ときどきこの問いに立ち返ることが大事だと思っています。あなたは何のために健康でいたいですか。その答えが、体と向き合い続ける理由になります。
何のために体を変えたいか、一緒に考えるところから始めましょう。
まずは話だけでも、お気軽にどうぞ。