こんにちは。越谷市せんげん台のパーソナルジム「トータルボディメイキングスタジオI’s(アイズ)」です。
「筋トレって好きですか」と聞かれることがあります。正直に言うと、特別好きではありません。やり終わったあとの感覚は好きだし、続けることで体が変わっていく過程は面白い。でも「行くまで」はいつも少し重い。天気の悪い日や疲れている日は、行かないですむ言い訳を探したくなることもあります。
それでも続けられているのは、「好きかどうか」とは別の理由があるからです。私が筋トレをどう捉えているかというと——歯医者や美容院と同じものだと思っています。今日はその話を書きます。
歯医者に行くのに「モチベーション」は要らない
定期検診で歯医者に行くとき、「今月は特別やる気があるから行こう」とは思いません。「行かないと歯が悪くなる」から行く。好きだから行くのではなく、行かないことのデメリットが分かっているから行く。
この判断に、気合いもモチベーションも特に必要としていません。「そういうものだ」という認識があるだけです。半年に一度、歯石を取ってもらって、虫歯がないか確認してもらう。それが歯を維持するために必要なことだと分かっているから、予約を入れて、時間になったら行く。
歯医者の診察台に座りながら「来て良かった」と思うかというと、そうでもない。クリーニング中は結構不快だし、早く終わってほしいと思っている。でもやり終わったあとはさっぱりして、また半年後に予約を入れる。このサイクルが、何十年も繰り返されていく。
筋トレも、これと同じでいいと思っています。「行きたい気分のときに行く」ではなく、「これが体のメンテナンスに必要だから、予定として組み込んでおく」という扱い方です。好きかどうか、モチベーションがあるかどうかは、あまり関係がない。
美容院に行く理由を、誰も問い直さない
美容院も同じです。「今月は特別やる気があるから髪を切りに行こう」とはならない。伸びてきたから切る。定期的にカラーをしている人は、根本が伸びてきたから行く。ただそれだけの話です。
美容院に行くことを「頑張っている」と言う人はいません。「意志が強いな」とも言われない。あたりまえのこととして受け入れられている。月に一度、もしくは数ヶ月に一度、自分の外見のメンテナンスのために時間とお金を使うことは、多くの人にとって議論の余地がない習慣です。
でも筋トレは「頑張っている」と言われる。「えらいな」と言われる。特別なことをしている人として見られる。この非対称性が、ずっと気になっています。
美容院は外側のメンテナンス、筋トレは体の内側のメンテナンス——構造はほとんど同じです。定期的に行って、専門家(トレーナー)の手を借りて、自分では維持しきれないところを整えてもらう。それなのに、一方は「当然のこと」で、もう一方は「特別なこと」に見える。なぜそうなっているのか、という問いがあります。
「好きじゃないとやれない」という思い込み
筋トレを続けられない理由としてよく聞くのが「楽しくない」「好きになれない」です。でも歯医者が楽しくても楽しくなくても、行くかどうかとは関係がない。美容院での時間が好きかどうかと、定期的に行くかどうかは別の話です。
「好きじゃないとやれない」という考え方の裏には、筋トレが「趣味」として捉えられているという背景があると思います。趣味なら、楽しくなければやる意味がない。でもメンテナンスなら、楽しいかどうかは主な判断基準にならない。歯磨きが楽しいかどうかを毎朝考えませんよね。
「筋トレを好きになれない自分はダメだ」と思っている人がいるけれど、その前提がすでにおかしい。筋トレを好きになる必要はありません。少なくとも、好きであることが続ける条件である必要はない。歯医者が好きじゃなくても、歯が健康な人はいる。運動が特別好きでなくても、体を維持し続けている人はいる。好きかどうかと、続けるかどうかは別の話です。
「成果が出なければ続ける意味がない」という落とし穴
筋トレを趣味として捉えていると、もう一つ問題が起きます。成果が出なければ「意味がない」という発想になりやすいことです。
趣味なら、楽しくなければやめていい。結果が出なければ別の趣味に切り替えればいい。でもメンテナンスの枠組みで考えると、成果が出ないからやめるという選択が難しくなります。歯が白くならなかったからといって歯医者に行くのをやめないように、体重が思ったように変わらないからといってトレーニングをやめる理由にはならない。
もちろん方法を見直すことはあります。歯医者を変える、ブラッシングの方法を変えるように、トレーニングの内容や頻度を見直すことはある。でも「成果が出ないからメンテナンス自体をやめる」という選択は、メンテナンスという枠組みの中ではあまり起きない。
この違いは大きい。「成果が出なければやめる」という発想で始めた人は、停滞期が来るたびにやめる理由が生まれます。でも「メンテナンスだから続ける」という発想だと、停滞は「今はそういう時期」として受け流せる。
予防の価値は「何が起きなかったか」にある
歯医者に定期的に行くことの価値は、多くの場合「何が起きなかったか」にあります。虫歯にならなかった、歯茎が悪化しなかった、抜歯せずに済んだ——こういう「起きなかったこと」が、定期検診の価値です。でも「起きなかったこと」は目に見えないし、誰も「すごいですね」とは言ってくれない。
筋トレも同じです。続けている間は「おかげで転ばずに済んだ」「おかげで要介護にならなかった」「おかげで膝の手術が必要にならなかった」という価値は見えません。でも続けている間ずっと、こういう「起きなかったこと」が積み重なっています。
筋肉量を維持することで、糖尿病リスクが下がります。骨に負荷をかけ続けることで、骨粗鬆症が遅れます。バランス能力を鍛えることで、転倒リスクが下がります。心肺機能を保つことで、心臓への負担が減ります。これらは全部、「起きなかったこと」として将来現れる価値です。
10年後、20年後に「あのとき続けていて良かった」と感じる瞬間が来たとき、それは今日のトレーニングの価値が遅れて現れたものです。歯医者に長年通い続けた人が「70代になっても自分の歯で食べられる」と言うように、体を動かし続けた人が「80代になっても自分で歩ける」と言う。この価値は後からしか分からないけれど、準備するのは今しかない。
週2〜3回、適度な強度で体を動かし続けることが、筋肉量の維持・骨密度の保持・代謝機能の安定に有効であることは、多くの研究で示されています。劇的に変わろうとする必要はありません。10年前と同じ機能を保てているなら、それはメンテナンスが機能している証拠です。
「行くまで」の重さは、歯医者も筋トレも同じ
一つ正直に言っておくと、歯医者も筋トレも、「行くまで」が一番重い。予約の日が近づくと、少し憂鬱になることがある。でも行ってしまえば、思っていたほど辛くない。終わったあとはさっぱりして、「来て良かった」と思う。
この感覚は多くの人が筋トレでも経験していると思います。「今日は気分が乗らない」「行きたくない」と思って来た日でも、終わったあとに「来て良かった」と感じる。でも「行くまで」の重さを理由にやめてしまうと、「終わったあとの良さ」を永遠に経験できない。
ここで「行くまでの重さ」を「モチベーションの問題」として捉えると、「やる気を出さなければ」という話になります。でもメンテナンスとして捉えると、「行くまでが重いのは当然だ、それでも行く」という発想になる。歯医者の予約日に「やる気がないから今日はやめよう」とはならない。それと同じです。
「行きたい気分のときだけ行く」という方針で筋トレをやると、ほぼ確実に週の後半や疲れた時期に来なくなります。でも「この曜日に行く」と決めてしまえば、行くかどうかを毎回考えなくて済む。決断を一度だけして、あとはその決断に従うだけにする。これがメンテナンスとしての体の使い方の実際です。
コストについての考え方
「ジムの費用が高い」という話をよく聞きます。でも歯医者代と美容院代を合計したら、年間でかなりの金額になっているはずです。それを誰も「高い」と言わないのは、「必要なものだから」という認識があるからです。
歯のメンテナンスをサボって、虫歯が進行して、インプラントが必要になったときのコストを考えると、定期検診の費用が割安に見えてくる。美容院も、手を抜いて髪が傷んでからケアするより、定期的にメンテナンスする方が長期的にはコストが安い。予防とはそういうものです。
体も同じです。筋トレに使う費用と時間を「今のメンテナンスコスト」として考えると、将来の医療費・介護費・機能低下によって失われるものとの比較になります。今日のトレーニングは10年後の健康への先行投資でもある。この視点で見ると、費用の捉え方が少し変わります。
もちろん予算の問題は現実的にあります。でも「費用がかかるからやらない」という判断をする前に、「やらないことのコスト」を一緒に考えることが必要だと思っています。歯医者に行かないことのコストが、歯医者代を上回る可能性があるように。
「費用がかかるからやらない」という判断をする前に、「やらないことのコスト」を一緒に考えることが必要だと思っています。歯医者に行かないことのコストが、歯医者代を上回る可能性があるように。
もう一つ言うと、続けることで費用の感じ方が変わります。定期的に来ていると、一回あたりのコストが下がっていく感覚がある。月に4回来る人にとって、一回あたりの費用は月に1回来る人の四分の一です。来れば来るほど、コストパフォーマンスが良くなる。これもメンテナンスとしての運用の面白いところで、通う習慣ができた人ほど「元を取っている」と感じやすい。
「特別なこと」をしている感覚をなくす
「筋トレをやっている」と言うと、「すごいですね」「意志が強いですね」と言われることがあります。そのたびに少し違和感があります。歯磨きを毎日している人に「意志が強いですね」とは言わないし、定期的に歯医者に行っている人に「すごいですね」とも言わない。
体を定期的に動かすことが「特別なこと」として見られている間は、続けることの心理的なハードルが高いままです。「特別なことをやっている」という感覚は、疲れたときや忙しいときに「今は無理だ」という言い訳を作りやすい。
逆に、体を動かすことが「特別でないこと」になったとき、それが本当の意味で習慣化しています。「今日はジムの日だから」と、特に強い意識もなく準備をして出かける状態。歯ブラシを持って鏡の前に立つのと同じ感覚で、ウェアを着てジムに向かう。
この状態になるまでに、人によって違いはあるけれど、ある程度の時間はかかります。最初から「特別じゃない」と感じることは難しい。でも「メンテナンスだ」という認識を最初から持っておくことで、その時間を少し短くできると思っています。「趣味として楽しもう」より「メンテナンスとして組み込もう」という入り方の方が、長続きするケースを多く見てきました。
「続けていること」自体が成果だという考え方
結果を求めて筋トレをしているとき、「体重が落ちた」「筋肉がついた」「数値が改善した」という変化が成果として見えます。でも変化が止まったとき、成果が消えたように感じて続ける理由を失う。
メンテナンスとして続けているとき、成果は別のところにあります。「今日もやった」という事実そのものが成果です。歯ブラシを今日も使った。歯医者の予約を守った。それと同じように、今日もトレーニングをした——この積み重ねが、10年後の自分の体を決めています。
「続けていること」が目に見えにくい成果を生んでいます。転ばなかった、筋肉が極端に落ちなかった、代謝が保たれた——これらは「何が起きなかったか」の形でしか確認できない。でも確実に蓄積されています。
10年続いている人に「何が変わりましたか」と聞くと、変化の話より「変わらずにいられる」という答えが返ってくることがあります。「同世代の人より疲れにくい」「体が動く範囲が以前と変わっていない」「仕事の集中力が落ちていない」——変化するのではなく、変わらずにいられること。これがメンテナンスの本当の成果です。
「すごく変わった」より「変わらずにいられた」の方が、長い目で見てずっと価値があります。歯医者に定期的に通い続けた人が「70歳になっても自分の歯で食べられている」と言うとき、その価値は「変化した」ではなく「変わらずにいられた」です。筋トレも、同じ話です。
「どのくらいやればいいか」という問いへの答えも変わる
メンテナンスとして考えると、「どのくらいやればいいか」という問いへの答えも変わります。
目標達成のために筋トレをしているなら、「もっとやらなければ」という発想になります。変化を最大化するために、できる限り多く、強く、頻繁にやろうとする。これは目標に向かっているときは有効ですが、その後の維持になったとき、同じ強度を求め続けることが継続の壁になります。
メンテナンスとして考えると、「機能を維持するために最低限必要な量をやる」という発想になります。週2回でもいい。30分でもいい。激しく追い込まなくてもいい。歯科検診が「できる限り頻繁に行った方がいい」というものではなく「半年に一度で十分だ」という基準があるように、メンテナンスとしての筋トレにも「これだけやれば機能を維持できる」という目安があります。
この「最低限必要な量」が分かると、続けやすくなります。「今週は2回しかできなかった」ではなく「今週のメンテナンスはできた」という感覚になる。忙しい時期でも「最低ライン」を守ることで、完全に止まらずに済む。止まらないから、また続けやすい。
筋トレは特別な人がやることではなく、歯医者や美容院と同じように、体を持っているすべての人に関係するメンテナンスの話です。好きかどうか、やる気があるかどうか、劇的な変化があるかどうかより、定期的に続けているかどうかが、10年後・20年後の体の状態を決めます。
メンテナンスに特別な動機は要りません。「そういうものだ」という認識だけで、十分続けられます。歯医者に「今月は特に気合いを入れて行こう」とは思わないように、筋トレも「今月は頑張ろう」ではなく「今月もある」という感覚で来られるようになったとき、それが本当の意味での習慣化です。そこまで来れば、あとは時間が勝手に積み重なっていきます。
「メンテナンスとして続けたい」という方へ。
無理なく続けられるペースを一緒に設計します。